能登やさしや土までも、(その続きをご案内します。)
1.能登の国に伝わる格言探し
前回もご紹介しましたが、25歳の頃、能登の社会開発のお手伝いで、「移動大学」に参加した経験があります。
約2か月半、能登半島をリュックを担いで、あちこちの集落を尋ねては、
多くの人情に触れて、人の心の温かさを再認識しました。
その時の私のテーマは、「能登に伝わる格言から、能登の特性を抽出する」でした。
輪島に辿り着いた時、先述の後の人間国宝「塩田慶四郎氏」に、お会いできた。
氏が、教えてくれたのは、次の格言でした。
「ガンチは甲羅に応じた穴を掘れ!」です。
直訳は、「ガンチ(蟹)は、甲羅に応じた穴を掘らないと、穴の中を上下に移動が出来ないので、甲羅を基準に穴を掘りなさい」
転じて、「人は、相応の能力に応じた仕事をしなさい」という一般的な意味があると教えてくれた。
2.どんでん返し
しかし、塩田氏の「日本伝統工芸展」に出品した、非売品の作品を見せられた瞬間である。
目の前には、全体が白木で、真ん中の楕円形のお盆の底の部分にだけ、朱色の漆塗りが施してあるではないか‼
お盆の両脇から、白木の手提げが、楕円の朱塗りの上の中央を渡っている。
この菓子鉢の意匠には、塗らない白木部分と、朱色に漆掛けした部分の絶妙な比率が計算され尽くされていた。
息も出来ないほどの美しさに、「先ほどの『ガンチは、、、。』の格言は、塩田氏には当たりませんね」と言いました。
塩田氏いわく、「型にはまったものをばかりを塗っていては、新しい創作は出来ないのだよ」と遠くを眺めながらおっしゃった。
能登の格言を超えた方が、ここにいらっしゃると感じた瞬間であった。
塩田氏は、もちろん伝統的な難しい「沈金蒔絵」の腕利きの塗師でしたが、
その伝統を自ら破ることのできる「創造性」をお持ちだったのでした。
その国宝級の菓子鉢を見て、その日の探索日記は、そのことばかりで埋まってしまった(笑)
ご子息が、「能登三井(のとみい)」という海岸線から離れた山中に工房を開かれているが、未だに安否は不明である。
ご無事を祈るばかりである、、、。
3.もう一つの格言
観光ポスターには、「能登やさしや土までも」と、書いてあるが、肝心のその続きが書いていない。
格言探しの果てに突き止めた全文が次の通りである。
『能登やさしや土までも、能登やさしや人ごろし』である。
後半は、穏やかではないので観光受けしないのでカットされて使われることが多い。
当時の古老にお聞きしたところ、次のような答えが返ってきた。
「能登は、住めば豊かな土地であり、耕せばいくらでも人を養ってくれる。これが能登やさしや土までも、の意味であると。」
「能登は、住み慣れると懐が深いので、人間として創造性の芽を摘まれてしまう。発展性のない人間が増えてしまうのです。
これが、能登やさしや人ごろし、の意味ですと。」
輪島の朝市に代表される海の幸の豊富さと、白米千枚田に代表される篤農家の集合体が能登の国を支えていた。
「能登やさしや土までも、能登やさしや人ごろし」とセットになって、いることに驚きを覚えた。
移動大学卒業の時に、このセットになっている格言に、
能登半島の特性がよくあらわされていると、感じた発表を行った。
「結論は、『能登は、まどろんでいる』と。」
4.まとめ
その後、筆者の発表をお聞きになっていた、「北國新聞社・論説委員(当時)松村長氏」と親交を結ぶこととなった。
在任中何度もお誘いを受けて、金沢を訪れて、
犀川の畔を散歩しながら、談笑したことは、私の人生に深くて豊かな実りをもたらしてくれた。
誠に、能登のご縁は、深いものを感じるのである。
翻って、今回の震災報に接して、胸の痛みは、尽きることが無い、、、。
「能登やさしや土までも、」と、一人ごちた。